大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和25年(れ)1721号 判決 1951年2月22日

本籍

大阪府中河内郡長吉村字長原一七三番地

住居

同府南河内郡古市町字軽里白鳥園

会社員

福原忠夫

明治三三年一一月一三日生

本籍

三重県上野市桑町一四三八番地

住居

大阪市阿倍野区旭町三丁目一〇五番地

美粧院手伝

吉田傳次郎

明治四一年六月二一日生

本籍

奈良県高市郡阪合村大字真弓一五一五番地

住居

大阪市生野区勝山通六丁目一〇六番地

店員

窪田利右衛門

明治三二年一二月二〇日生

右に対する麻薬取締法並麻薬取締規則各違反被告事件について昭和二五年八月九日大阪高等裁判所の言渡した判決に対し各被告人から上告の申立があつたので当裁判所は刑訴施行法二条に従い次のとおり判決する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人福原忠夫弁護人船内正一の上告趣意について。

所論の憲法三六条にいわゆる「残虐な刑罰」とは不必要な精神的肉体的苦痛を内容とする人道上残酷と認められる刑罰を意味するのであつて、事実審の裁判官が普通の刑を法律において許された範囲内で量定した刑が被告人側から見て過重の刑であるとしてもこれを所論憲法の規定にいわゆる「残虐な刑罰」といえないことは当裁判所の判例とするところである。されば論旨は結局事実審たる原裁判所の裁量に委されている刑の量定を非難するに帰し、上告適法の理由とならぬ。

被告人吉田傳次郎弁護人山本良一の上告趣意について。

論旨は結局被告人吉田傳次郎と相被告人福原等とは判示阿片末所持の立場、目的を異にしているのであるから、その責任の本質もその間同一でないにもかかわらず、この点を看過して、被告人吉田傳次郎に対しても相被告人等に対すると同様に実刑を科した原判決の量刑は著しく不当であるというのであつて、原審の裁量内で適法にした刑の量定を非難するに帰するから上告適法の理由とならぬ。

被告人窪田利右衛門弁護人奥田忠策の上告趣意第一点について。

しかし、原判決挙示の各証拠を綜合するときは所論の原判示第三の事実の認定はたやすくこれを肯認するに足り、その間反経験則の違法はない。所論麻薬取締規則四二条にいわゆる「所持」の意義は麻薬を自己の実力支配内に置くことを意味するものと解するを相当とし、論旨に主張する解釈は独自の見解であつてとるをえない。されば論旨は結局独自の見解に立つて原審の裁量に属する事実認定を非難するに帰し、上告適法の理由とならぬ。

同第二点について。

原判決が所論の刑法六〇条を明示していないことは所論のとおりであるが、その判示第三として「被告人吉田傳次郎は阿片末の売却斡旋方依頼を受け更に被告人窪田利右衛門に依頼してここに右両被告人は共同して他に売却する為に藤原春義方に同行持参する迄共同所持し」と判示しているから、原判決は被告人窪田利右衛門相被告人吉田傳次郎の両名の判示阿片末所持の犯行について刑法六〇条を適用して右両名は共同正犯であると認定しているものであること明白である。そして刑法総則の規定は本件のようにこれを適用した場合にこれを適用した旨を条文を摘示して明示しないからといつて違法であるとはいえない。されば原判決には所論の擬律錯誤の違法はなく論旨は理由がない。

同第三点について。

刑の執行を猶予するか否かは事実審たる原裁判所の裁量に委されているところであるから、たとい、所論に縷述するような事情があるとしても、それにもかかわらず原審が被告人に刑の執行猶予を言渡さなかつたからといつて、原判決を違法ということはできない。されば論旨は上告適法の理由とならぬ。

よつて旧刑訴四四六条に従い裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

検察官 茂見義勝関与

(裁判長裁判官 澤田竹次郎 裁判官 眞野毅 裁判官 齋藤悠輔 裁判官 岩松三郎)

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